吉野ヶ里遺跡 暮色 その1|写真マイガーデンシリーズ


吉野ヶ里遺跡 暮色 その1

2012.07.30(00:01) 931

吉野ヶ里遺跡 暮色 その1


吉野ヶ里遺跡


弥生時代の吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡の旧神埼(かんざき)町・旧三田川(みたがわ)町・旧東脊振(ひがしせふり)村の3つの町村にまたがった我が国最大の遺跡で、弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代600年間の移り変わりを知ることができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。

これらは日本の様子を記した最古の記録である魏志倭人伝に出てくる「邪馬台国」の時代を彷彿とさせるもので国の特別史跡にも指定されています。
≪遺跡情報: http://www.yoshinogari.jp/ より ≫


    ssP7247671.jpg


   故郷の実家の近くで 発見された この遺跡

      我が国弥生時代最大規模の環壕集落であることが確認され、

   また魏志倭人伝に記された邪馬台国の様子を彷彿とさせる建物跡などが発見されたことにより、

      一躍全国の注目を集めました。



ssP7247626.jpg


   吉野ヶ里遺跡 暮色 その2 へ 続く

   
↓ブログランキングの応援クリック↓
   よろしくお願いします

自己啓発 ブログランキングへ

クメゼミ参加してみませんか?申し込みや詳細内容はこちらをクリック

<<夏雲 夕景 上弦の月 | ホームへ | 「五輪」 いえ、6倍の 「三十輪」にチャレンジです~♪ 「五輪」開幕特別編>>
コメント
ミー子 さん
コメントありがとうございます。

> クメゼミ。お疲れ様です!!
 ⇒ありがとうございます。
毎回、新たな出逢いがあり、「一期一会」
一人ひとりのご縁、大切にしていかなければと思っています。

> 吉野ヶ里遺跡
> 一枚目の写真 もうため息が出るくらいに「美しい」です♪
>  緑と黒のコントラストが 幻想的にミー子を弥生時代に
>  誘います。薄灯りに浮かぶ月・・・酔いますね(笑)
 ⇒いつもお褒めの言葉、ありがとうございます。
これは月ではなく、太陽なのですが、お月さんのイメージとも重なりますね(^^)v

> この時代 生きる ことのみに集中してたのでは!? それはそれで
> 幸せかもしれませんね(^^)命がけで「生きてた」のでしょうね
 ⇒ 「命懸けで生きる」
 そういえば「ハングリー精神」も久しいですね
 亡くなった姉は朝から晩まで、店の為、家族の為に懸命に働いていました。
 「貧乏人は風邪引かない」 姉はまさにそんな感じでした。
 私がちゃんとしなければ家族が大変なことに
 そうスイッチが入ると土日一切無しで、風邪もひかずに頑張れるものです。
  これが、「命懸けで生きる」ということなのだと思います。
  実父(住職)はもっとすごくて、一年365日、一日も休まず、多分60年以上働き詰め。
  私が知っている限り、休んだのは体調崩し寝込んだ数日間、それが数回あった位です
  まさに、「命懸けで生きる」
  それに比べたら、私はアマちゃんですねm(_ _)m

> 色んなことを連想させ、想いを馳せるお写真有り難うございます。
> それにしても 塾長さまの「博識」には驚かされます。
 ⇒いつも励みのコメントありがとうございます。
 「博識」はネットや電子辞書がですね (笑)

【2012/07/31 11:37】 | クメゼミ塾長 #LCCNbXwA | [edit]
塾長さま。

今日はクメゼミですね。お疲れ様です!!
今頃のお時間は「親睦会」でしょうか?

弥生時代の吉野ヶ里遺跡・・・想いの籠ったお写真ですね♪

特に一枚目のお写真 もうため息が出るくらいに「美しい」です♪
 緑と黒のコントラストが 幻想的にミー子を弥生時代に
 誘います。薄灯りに浮かぶ月・・・酔いますね(笑)

この時代が 平和であったのかどうか知る由もありませんが
生きる この事にのみ集中してたのでは!? それはそれで
幸せかもしれませんね(^^)命がけで「生きてた」のでしょうね
色んなことを連想させ、想いを馳せるお写真有り難うございます。
それにしても 塾長さまの「博識」には驚かされます。

いつも有り難うございます。お疲れになられたことでしょう
帰られましたら ゆっくりとお疲れを癒して下さいね。


【2012/07/30 22:41】 | ミー子 #C5WiwB5M | [edit]
りらさん
コメントありがとうございます。

吉野ヶ里遺跡は一つの国(部落)がまるまる遺跡として発掘された
きわめて貴重な遺跡です。
城柵と環濠が何重にも張り巡らされたお城のようです。
物見櫓まであります。
まさに卑弥呼を連想させる遺跡群です。

弥生時代に想いを馳せながら撮影しました。

今日は新大阪でクメゼミです。

りらさん
夏バテ、熱中症に気をつけてくださいね。
いつもありがとうございます。
【2012/07/30 20:33】 | クメゼミ塾長 #LCCNbXwA | [edit]
吉野ヶ里遺跡 の詳細なご説明と趣のあるお写真により
弥生時代へと思いをはせる事が出来る雅な夜となりました
【2012/07/30 19:04】 | りら #sSHoJftA | [edit]
りんださん
コメントありがとうございます
吉野ヶ里遺跡
城柵と堀が何重にも巡らされて見張り台もあります
首のない遺体やヤジリの刺さった骨も発掘されています
戦のないときは自然のまま暮らせたと思いますが
戦いに明け暮れていたかも
今の日本は平和でホントに幸せな時代だと思いますね
感謝しなければね(o^~^o)ν
りんださん
いつもありがとうございます


▼吉野ヶ里遺跡
古代の人はどんな生活をしていたのでしょう?
きっと日が昇ると起きて日が落ちると寝て・・・自然と一体化しての生活だったのでしょうね。
【2012/07/30 17:50】 | 【クメゼミ】塾長 #LCCNbXwA | [edit]
こんにちわ~~♪
吉野ヶ里遺跡の近くにご実家が・・・いいですね~~♪
古代の人はどんな生活をしていたのでしょう?
きっと日が昇ると起きて日が落ちると寝て・・・自然と一体化しての生活だったのでしょうね。
少し羨ましい気も(。^p〇q^。)プッ
【2012/07/30 17:12】 | りんだ #afXvPe0k | [edit]
yoshi2479さん
コメントありがとうございます。

写真は旅情、郷愁を感じながら、シャッターを切りました。

今回帰省にあたり、スケジュールの移動の合間に弟(住職)がちょこちょこと案内してくれました。
この撮影スポットは教えてもらわないと分かりませんね。
また機会があれば再チャレンジしたい場所です。

主な建物が復原されていますが、材料≪木材≫も道具も昔のやり方で再現されているようです。
ただ、奈良の文化財のように宮大工による正確な復元は 資料不足から無理なので
あくまで遺構から見た推測の建物群です。
城柵から堀から建物群、吉野ヶ里という国全体の遺構が残るとても大きな規模です。
≪遺跡情報: http://www.yoshinogari.jp/ より ≫

yoshi2479さん
いつもありがとうございます。


> 挿絵風で、語り部がしゃべりそうな感じがしました。
九州と奈良という古代遺跡の宝庫
再現された遺跡の建物は材料は何を使っているのでしょうか?


【2012/07/30 12:35】 | クメゼミ塾長 #LCCNbXwA | [edit]
挿絵風で、何か、物語を語り部がしゃべりそうな感じがしました。九州と奈良という古代遺跡の宝庫に関係していらっしゃるクメゼミさん、アイディア、知識が無尽蔵なのもうなづけます。ちなに、再現された遺跡の建物は材料は何を使っているのでしょうか? なかなか昔と同じ材料はないと思うので、難しいと思いますが、材料の再現方法に関心があります。
【2012/07/30 12:12】 | yoshi2479 #- | [edit]
ふじこさん
コメントありがとうございます

▼塾長
ご実家の近くが一躍有名になった。
すごいですねえ。
⇒小さい頃から石器やヤジリ、銅鏡が出土し、地名も『神埼郡』神の埼と書く
実家の隣の地名は『尾崎』⇒大蛇の尻尾
すぐ横に『蛇取り橋』
大蛇が伏せていた場所が『伏部』
神話の宝庫でした
『吉野ヶ里』は人が住んでいなかったので大規模な発掘が出来たのでした
それだけ田舎-(笑)
広大な土地を発掘し復原されています
『吉野ヶ里夏の暮色』
弟が気を遣って色々連れて行ってくれました

ふじこさんは
夢枕に現れたのですか?
それも七世紀
凄いですね
吉野ヶ里は卑弥呼の時代なので三世紀前後の遺跡です
ふじこさん
いつもありがとうございます
【2012/07/30 10:07】 | 【クメゼミ】塾長 #LCCNbXwA | [edit]
塾長さま
ご実家の近くが一躍有名になった。
すごいことですねえ。
わたしが以前住んでいたところは八津山一号古墳があり
夜中夢枕に現れたことがあります。美しい着物の女性で背後にたくさんの家来を連れていました。7世紀くらいの方が夢枕に立つってほんと不思議でした。ふじこ
【2012/07/30 07:17】 | ふじこ #- | [edit]
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する