2013年11月|写真マイガーデンシリーズ


秋の実り

2013.11.30(00:01) 1420

の実り


   実は 春に芽吹き

      夏に成長し に実る

sDSC00275


   この色も

     にこそ 似合う色でしょう

sDSC00307



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   不思議な形の実(?)です

      名前は不明ですが

   艶やかに 魅せてくれました 

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   実となり 種子となり

      また 来年 逢いましょう~♪


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去りゆく 季節

2013.11.29(00:01) 1425

去りゆく 季節


    今年のは あなたを 魅せてくれましたか?

       色々な思い出を創ってくれた

    一つの季節が 閉じられようとしています 

去りゆく季節sDSC02194


   の思い出は 心の小箱にしまい

       新たな季節を 迎えたいと思います



⇒去りゆく 季節の続きを読む
   
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枯葉が煌めく季節

2013.11.28(00:01) 1424

枯葉が煌めく季節


sDSC02049


   夜空の星星のように

      輝く紅葉たち

sDSC02016


   地上の 華やぎ

      粒立つ 彩

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   樹上から 地上へ

      主役が 移動する

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   やがて穏やかに

       秋は 流れゆく


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枯葉が煌めく季節

   
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「記念写真」 それぞれのスタイル

2013.11.27(00:01) 1418

「記念写真」 それぞれのスタイル


   ふうむ 表情豊かな 白人女性ですね

記念写真PB180164


   こちらは 穏やかでダンディな 白人男性

      君が撮るなら 僕もね 二人で撮りっこしょう~♪      

君が撮るなら僕もね撮りっこしましょうsPB180177


  わたし 綺麗に撮ってよね

      まかせなさい~♪ 当てにならない 元気な返事でした


綺麗に撮ってよね 任せとけ~♪PB180214
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「平城宮跡 東院庭園」 秋色彩彩

2013.11.26(00:01) 1422

「平城宮跡 東院庭園」 色彩彩

大垣と板塀に囲まれた奈良時代の「宮殿庭園」

平城宮跡 東院庭園 (ヘイジョウキュウセキトウインテイエン)

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「平城宮跡 東院庭園」
  1967年、平城宮東張出し部の南東隅に大きな庭園の遺跡が発見された。
発掘の結果、敷地の中央に複雑な形の汀線をもつ洲浜敷の池を設け、その周囲にはいくつもの建物を配していたことが確認され、現在はそれらを修復・再生して「東院庭園」という名で一般に公開されている。
大陸から伝わった庭園文化が、日本独自の様式に変化していった過程を知ることができる貴重な庭園。
  ≪http://select100.pdc-web.jp/teien2013/detail/66≫


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「平城宮跡 東院庭園」は

    典雅なを 魅せてくれました

PB210164.jpg


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   「色彩彩」


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道端の晩秋 (みちばたのばんしゅう)

2013.11.25(00:01) 1423

道端の晩 (みちばたのばんしゅう)


   どこにでもある 

道端の晩秋sDSC01606


   車窓に ビューする

     藍青色(らんせいしょく)

車窓に ビューする秋の空DSC01478


   季節は 留まりながらも

      色を誇示する 自転車を 取り残し

   色を ときめかせ 深めながら

      やがて 色褪せてゆく


自転車を追い越す 季節の移ろいDSC01653


道端の晩 (みちばたのばんしゅう)

   
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平城宮跡 東院庭園 秋を極めて

2013.11.24(00:01) 1421

平城宮跡 東院庭園 を極めて


「平城宮跡 東院庭園」

平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張出し部を持ちます。
この南半は皇太子の宮殿があった場所で、「東宮」あるいは「東院」と呼ばれていました。
その南東端に東西60m、南北60mの池があり、これを中心に構成されている区画が東院庭園です。
≪http://heijo-kyo.com/tointeien.html≫


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   色 満載~♪

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   紅葉と 朱色の柱

     華麗にシンクロします

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   板塀も

      の風雅を 奏でます~♪


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深まる秋

2013.11.23(00:01) 1419

深まる


   季節は

      光と色を 重ねてゆく

何気ない景観PB160117


   深まる

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   春に芽吹き

      夏を謳歌し

   にお疲れさま

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   はらはらと散っても

      仲良しで

sDSC00231


   つちくれに還って

      また来年 お会いしましょう

sDSC00236



   道しるべは 朽ちても 大丈夫

      まだまだ 役目をきっちり 果たしています

   ここ 山の辺の道は

      飛鳥時代と変わらぬ陽射しのままに

   ほら こっちだよ

      優しく 道案内をしてくれました


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深まる

   
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待ち人

2013.11.22(00:01) 1417

待ち人


   店の玄関先で 待ってるよ

     だけど 今日は特に寒いから

   今どこ? まだ?

     楽しい再会まで 後少しか もう少しなのか…

   寒かったら 温かいエントランスに入ってね
     
     風邪に気をつけて


店の玄関で待ってるけど寒いよ 今どこ?まだ?PB180194


待ち人

   
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「道頓堀のグリコ看板」  外人さんにも大人気

2013.11.21(00:01) 1416

「道頓堀のグリコ看板」  外人さんにも大人気です


道頓堀のグリコ看板 外人さんにも大人気PB180032


   グリコのポーズで

     はい ショット~♪


グリコのポーズでsPB180040


   「グリコ」 一粒で 300メートル

       懐かしいフレーズですが もう死語でしょうか

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   装備からして

      撮影スタイルも 一発必撮!!

   決まっていますねえ!! 

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   幸せそうな 家族

      グリコも にこやかに応援します~♪


グリコと一緒にね大人気のグリコ看板PB180175


「道頓堀のグリコ看板」  外人さんにも大人気です

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移ろいゆく秋 過ぎ往く季節

2013.11.20(00:01) 1415

移ろいゆく 過ぎ往く季節


  移ろいゆく

秋の移ろいDSC00243


  過ぎ往く季節

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sDSC00259


  を映して

sDSC00260


  舞い散る 季節


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移ろいゆく 過ぎ往く季節


   
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好奇心

2013.11.19(00:01) 1414

好奇心


あらあ…!!

   大きな魚が ほら!! 泳いでいるよ!!

どれどれ!?  あっホントだあ 〃(^∀^〃)¢

   好奇心

いつまでも 失くさないようにしたいですね


あらあ…魚が泳いでるよ どれどれ あっホントだDSC00190


好奇心

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トウガン(冬瓜)の紳士

2013.11.18(00:01) 1413

トウガン(冬瓜)の紳士


ウォーキングをしていたら ある民家の軒先に 飾ってありました

  作者は お洒落で気さくなご主人でした

道行く人の 心を和ますためだそうです

  素敵なトウガン(冬瓜)の紳士

    トウガン(冬瓜)ウリ科つる性一年草sDSC00174


「トウガン(冬瓜)」
原産はインド、東南アジア。
日本では平安時代から栽培されている。7 - 8月に収穫される夏の野菜で、実を食用とする。
実は大きいもので短径30cm、長径80cm程度にもなる。
元々の名称は「冬瓜」を音読みした「とうが」で、これが転じて「とうがん」となった。
「冬瓜」の表記は、果実を丸のまま冷暗所に置けば、他のウリ類がなくなる冬まで保存できるとされるところからともいう。
≪情報:ウィキメディアより≫


九州の佐賀では「とうが」と呼んでいました。

トウガン(冬瓜)の紳士PB160130


「ホオズキ(鬼灯、酸漿)」と仲良しの トウガン(冬瓜)の紳士

「ホオズキ」
  ナス科ホオズキ属の多年草
果実は、以前はホオズキ人形や口で音を鳴らすなど子供の遊びにも使われていた。
食用や薬用としても知られているが、腹痛や堕胎作用があるために多用は禁物である。

日本の仏教習俗であるお盆では、ガクに包まれたホオズキの果実を死者の霊を導く提灯に見立て、枝付きで精霊棚(盆棚)に飾る。
≪情報:ウィキメディアより≫


ホオズキ(鬼灯、酸漿)ナス科ホオズキ属の多年草PB160128


トウガン(冬瓜)の紳士

   
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談山神社 「錦秋」

2013.11.17(00:01) 1412

談山神社 「錦


紅葉の名所「談山(たんざん)神社」は 錦色のでした

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談山神社という名前の由来は
  大化の改新の中大兄皇子、中臣鎌足が日本の将来について語りあったといわれる談い(かたらい)山がすぐ後ろにあり その頂上に大化の改新の談合の碑が立ってるそうです。

 春とに行われる蹴鞠祭(けまりさい)は中大兄皇子、中臣鎌足が会い、大化の改新のきっかけとなった飛鳥法興寺の蹴鞠会(けまりえ)の故事によるもの。

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中臣鎌足 後の「藤原鎌足」 藤原不比等の父で
  藤原氏の祖
1520年に建てられた拝殿の中には、鎌足の描いた多武峰マンダラがあります。
私は残念ながら未確認です。
の紅葉を眺めながら、歴史のロマンに触れてみる。
こんな山奥から日本の近代化、飛鳥時代がスタートしたのは不思議な感じがします。
 ≪情報:http://www.kasugano.com/kankou/tanzan/ より≫

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霜月 「雨上がり」

2013.11.16(00:01) 1411

霜月(しもつき) 「雨上がり」


  霜月になって 雨がよく降ります

     随分寒くなりました

  捨てられたアルミ缶に

     落葉が寄り添う

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  雨上がりは

     落葉も地面も キラキラと 輝きます


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  みずみずしい花たち


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  雨に打たれた 落葉たち



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明石海峡大橋の たもと

2013.11.15(00:01) 1410

明石海峡大橋のたもと


   自転車も 仲良しこよし~♪

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   夜になると 景色は様変わり



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   思い出の ショットを~♪


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   橋のたもとにも ドラマがありました


明石海峡大橋のたもと

   
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お伊勢参り 伊勢神宮 20年に一度の「神宮式年遷宮」 その2

2013.11.14(00:01) 1409

お伊勢参り 伊勢神宮 20年に一度の「神宮式年遷宮」 その2


  やっと 来れました 「お伊勢参り」

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神宮式年遷宮」の意義
  1953年(昭和28年)10月5日、外宮遷御の儀。
史上初めて写真撮影が許可された。式年遷宮を行うのは、萱葺屋根の掘立柱建物で正殿等が造られているためである。
塗装していない白木を地面に突き刺した掘立柱は、風雨に晒されると礎石の上にある柱と比べて老朽化し易く、耐用年数が短い。
そのため、一定期間後に従前の殿舎と寸分違わぬ弥生建築の殿舎が築かれる。

漆を木の塗装に用いるのは縄文時代から見られ、式年遷宮の制度が定められた天武天皇の時代、7世紀頃には、既に礎石を用いる建築技術も確立されていた。
現に、この時代に創建(または再建)された法隆寺の堂宇は、世界最古の木造建築としての姿を今に伝えている。とすれば、当時の国力・技術をもってすれば、神宮も現在にも残る建物にすることは可能であったと思われる。
それをあえて、定期的に膨大な国費を投じることとなる式年遷宮を行う途を選んだ理由は、神宮にも記録がないため不明である。

推測される主な理由としては、次の4点が考えられる。
過去の建築様式である弥生建築の保存のため。
当時においても、過去の建築様式である弥生建築を保つことに何らかの意義を見出していたために、式年遷宮によって建築様式の保存を図ったのではないか。
神道の精神として、常に新たに清浄であること(「常若(とこわか)」)を求めたため。
建物がいまだ使用可能の状態であっても、老朽化することは汚れ(ケガレ。気枯れ)ることであり、神の生命力を衰えさせることとして忌み嫌われたため、建物を新しくすることにより神の生命力を蘇らせ、活性化することになると考えられたのではないか。
大嘗祭、新嘗祭、神嘗祭など、祭祀の意義が再構築されたため。
毎年行われる天皇祭祀である新嘗祭に対して、天武天皇の時代に初めて行われた大嘗祭は、即位後初めて行われる新嘗祭であり、一世一度の行事として特別視された。
これに対応して、毎年行われる神嘗祭に対して、20年に一度行われる大神嘗祭として、式年遷宮が行われるようになったのではないか。
皇宮の遷移に代えて、遷宮が行われたため。
天皇の住まいであり政庁である皇宮は、天武天皇の治世以前には、天皇の代替わりごとに移し替えられていた。
しかし、恒久的な宮である藤原京が建設されることとなり、宮の遷移が行われなくなったため、その意義を神宮の遷宮に託したのではないか。


三連休明けの平日だというのに
   どこもかしこも 参拝客で溢れかえっていました
この列は カメラの後ろにも ひっきりなしで続いています

   それでも「神宮」は 人混みに汚れることもなく
格別の静謐(せいひつ)さ 空気感を漂わせています
 

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また、式年遷宮が20年ごとに行われる理由についても、同じく確たる記録はないため不明である。
推測される主な理由としては、以下の5点が挙げられる。

建物の「清浄さ」を保つ限度が、20年程度であるため。
これは、耐用年数という意味ではなく、神道の宗教的な意味における「清浄さ」である。
建替えの技術の伝承を行うためには、当時の寿命や実働年数から考えて、20年間隔が適当とされたため。
建築を実際に担う大工は、10歳代から20歳代で見習いと下働き、30歳代から40歳代で中堅から棟梁となり、50歳代以上は後見となる。
このため、20年に一度の遷宮であれば、少なくとも2度は遷宮に携わることができ、2度の遷宮を経験すれば技術の伝承を行うことができる。
旧暦の「朔旦冬至(さくたんとうじ)」(11月1日が冬至にあたること)が、19から20年に一度の周期(メトン周期)であるため。
一世代がおよそ20年であるため。
神嘗祭に供される穀物の保存年限が20年であるため。

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「用材」
  遷宮においては、1万本以上のヒノキ材が用いられる。
その用材を伐りだす山は、御杣山(みそまやま)と呼ばれる。

御杣山は、14世紀に行われた第34回式年遷宮までは、3回ほど周辺地域に移動したことはあるものの、すべて神路山と島路山、高倉山という内宮・外宮背後の山であった。

その後、内宮の用材の御杣山は第35回式年遷宮から三河国に移り、外宮の用材の御杣山は第36回式年遷宮から美濃国に移り、第41回式年遷宮から第46回式年遷宮までは伊勢国・大杉谷を御杣山とした。
この伊勢国大杉谷は、徳川御三家の一つ・紀州徳川家の領地である紀州藩にあった。

しかし、原木の枯渇による伐り出しの困難さから、第47回式年遷宮から、同じ徳川御三家の一つ・尾張徳川家の領地である尾張藩の木曾谷に御杣山は移された。
以後、第51回式年遷宮のみ大杉谷に戻ったものの、300年以上にわたり木曾谷を御杣山としている。

明治時代には、木曾谷を含む尾張藩の森林は国有化された。
明治時代後期から大正時代にかけて、木曾の赤沢をはじめとする地域に神宮備林が設定され、樹齢200年から300年の用材の安定提供を可能とする計画的植林が行われ始めた。
第二次世界大戦後、神宮備林の指定は外されたものの、以後も遷宮用材の主な供給地となっている。


「内宮正殿」は 参拝客で 長蛇の列でした
  内宮正殿内は 一切撮影が許可されません
ここら辺りが限界です


     PB060854.jpg


神宮では、1923年(大正12年)に森林経営計画を策定し、再び正宮周辺の神路山・島路山・高倉山の三山を御杣山とすべく、1925年(大正14年)または1926年(大正15年/昭和元年)から、三山へのヒノキの植林を続けている。遷宮の用材として使用できるまでには概ね200年以上かかるため、この三山の植林から生産された用材が本格的に使用されるのは110年以上後の2120年頃となる。
また、この計画は、400年後の2400年頃には、三山からの重要用材の供給も目指す遠大なものである。
なお、内宮正殿の御扉木について、本来の様式通りに一枚板とするためには、樹齢900年を超える用材が必要となると試算されている。
2013年(平成25年)に行われた第62回式年遷宮では、約700年ぶりに、この正宮周辺三山からの間伐材を一部に使用し、全用材の25%が賄われた。

さらに、明治100年記念として神宮が購入した宮崎県・鹿児島県の記念林は、当初の目的は財政補給であったものの、ヒノキの生産に適していると見られることから、三山および瀧原宮の神域林とあわせて、用材の供給源となることが期待されている。

式年遷宮の際に解体される旧殿に使用された用材は、神宮内やその摂社・末社をはじめ、全国の神社の造営等に再利用される。
例えば、内宮正殿の棟持柱については宇治橋神宮側鳥居となり、さらに関の東の追分の鳥居となる習わしである。また、外宮正殿の棟持柱は宇治橋おはらい町側鳥居となり、さらに桑名の七里の渡しの鳥居となる習わしである。

2013年(平成25年)の遷宮では、ヒノキ不足から遷宮史上初めて、青森産のあすなろが用いられた。
  ≪以上情報:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE より≫


  「外宮正殿」の板塀 参拝客は ひっきりなし
     途切れるのを じっと待って やっと撮れた一枚です
  内部は一切撮影禁止で 正殿出口の近くで撮っていても 咎められました


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神宮式年遷宮」 お参りできて よかったね

    はい お疲れさまでした


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お伊勢参り 伊勢神宮 20年に一度の「神宮式年遷宮」 その2 完

   
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竹島旅情

2013.11.13(00:01) 1406

竹島旅情

愛知県 蒲郡市の 「竹島」


長さ387メートルの橋で陸地と結ばれて、国の天然記念物に指定されている蒲郡のシンボル「竹島」。
島の中央部には、日本七弁財天のひとつ「八百富神社」がある。

右手のシルエットの像は 「藤原俊成」像。

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   の夕暮れは 旅情をそそります

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   日向ぼっこ

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「竹島橋」  縁結びへ通じる道
竹島は対岸と387mの竹島橋で結ばれています。
竹島橋は縁結びの橋と呼ばれているので、相手と中央を開けないよう、気をつけて渡ってください。
夫婦・カップルで訪れた際には、ぜひ仲良く手をつないで歩いてみてはいかがでしょうか。
冬にはシベリアからユリカモメなどの渡り鳥が飛来し、心を和ませてくれます。

≪以上情報:http://www.gamagori.jp/look/detail_4_0_1_0_0.html≫



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をばな (尾花=すすき)

2013.11.12(00:01) 1407

をばな (尾花=すすき)


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ひとみなは

   萩を秋といふ

     よし我は

  をばな(尾花=すすき)がうれを

       秋とは言はむ

          万葉集 読み人知らず 巻十・2110
  

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  をばな(尾花=すすき)には 秋のブルーが似合います

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お伊勢参り 伊勢神宮 20年に一度の「神宮式年遷宮」 その1

2013.11.11(00:01) 1408

お伊勢参り 伊勢神宮 20年に一度の「神宮式年遷宮」 その1


今年は 伊勢神宮 20年に一度の「神宮式年遷宮」第62回目

社殿を造り替える20年に一度の大祭。

正殿(しょうでん)を始め 御垣内(みかきうち)の建物全てを建て替えし
  さらに殿内の 御装束(おんしょうぞく)や神宝を新調して、御神体を新宮へ遷(うつ)す。

新装なった社殿は 神々しく 燦然と煌めいていました。

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伊勢神宮とは、伊勢の宇治の五十鈴(いすず) 川上にご鎮座の皇大神宮(こうたいじんぐう、 内宮=ないくう)と、伊勢の山田の原に ご鎮座の豊受大神宮(とようけだいじんぐう、 外宮=げくう)及び別宮など125社神社の総称。

神宮参拝の順路は、多くの場合 まずは外宮からというのが古来からのならわしだそうです。

「内宮=ないくう」
御祭神:天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
御神徳:皇室の御祖先の神で、日本人の総氏神とも言われています。

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伊勢神宮の正式名称は「神宮」

「お伊勢さん」と親しく呼ばれ、辞書などでは「伊勢神宮」と 紹介されていますが正式名称は「神宮」です。
  ≪以上情報:http://www.isejingu.or.jp/arukikata/ より≫


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「神宮式年遷宮」
神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)。
神宮では、原則として20年ごとに、内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。
このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋なども造り替えられる。

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記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇の治世の690年(持統天皇4年)に第1回が行われた。
その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、1993年(平成5年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている。

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2005年(平成17年)から第62回式年遷宮の各行事が進行し、2009年(平成21年)に主要な行事である内宮に係る「宇治渡始式」が、2013年(平成25年)には正遷宮(神体の渡御)が斎行された。

神宮司庁によると、8年前から始まる2013年(平成25年)の第62回式年遷宮全体の費用は、建築、衣服、宝物の製作を含め約550億円と公表。
  ≪以上情報:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E5%BC%8F%E5%B9%B4%E9%81%B7%E5%AE%AE より≫


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お伊勢参り 伊勢神宮 20年に一度の「神宮式年遷宮」 その2 へ 続く


   
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色付く秋 ジューシーな オリーブ

2013.11.10(00:01) 1404

色付く ジューシーな オリーブ


ご近所で 写真を撮っていたら

  上品な 奥さんに 声を掛けられました

オリーブが 綺麗に生っていますよ

  よろしければ どうぞ~♪

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それはそれは ご丁寧に m(_ _)m

   オリーブが 色付いて

フォトジェニックに 魅せてくれました

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このオリーブのように 素敵な奥さんでした

   ありがとうございます



  色付く ジューシーな オリーブ


   
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二人の世界

2013.11.09(00:01) 1405

二人の世界


   君と出逢って

      今この時を 共に過ごす幸せ

   今日 君と約束したこと 忘れないよ

      いつまでもだよ きっとね

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   二人の旅の記念に

      美しいままの 君の姿を 写し撮ろうね

   少し斜めにうつむいた姿が 恥じらいが見えて

      ボクの好きなアングルだよ

   そう 優しいうなじが

      ほんの少し 見え隠れするくらいでね


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   二人の世界


   
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【マイガーデン】  南天

2013.11.08(00:01) 1403

【マイガーデン】  南天


音が「難を転ずる」に通ずることから、縁起の良い木とされ、鬼門または裏鬼門に植えると良いなどという俗信がある。
福寿草とセットで、「災い転じて福となす」ともいわれる。


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  季節を過ぎて

     歯抜けになった 南天の実

        最期まで 優しく 美しいままで


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葉は、南天葉(なんてんよう)という生薬で、健胃、解熱、鎮咳などの作用がある。
葉に含まれるシアン化水素は猛毒であるが、含有量はわずかであるために危険性は殆どなく、逆に食品の防腐に役立つ。

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このため、彩りも兼ねて弁当などに入れる。
もっとも、これは薬用でなく、食あたりの「難を転ずる」というまじないの意味との説もある。
  ≪以上情報: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%B3 より≫



   「南天」

      難を転じて 夢や希望を

         叶えてくれるかも~♪


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   【マイガーデン】  南天

   
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季節を 重ねて

2013.11.07(00:01) 1402

季節を 重ねて


   時は 散らばり

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   蝕まれるもの

      育まれ つちかえるもの

   時が 季節を 重ねて往く


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  季節を 重ねて

   
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秋の花 「ツワブキ」と「秋明菊」

2013.11.06(00:01) 1401

 「ツワブキ」と「明菊」

   「ツワブキ」

目 : キク目 Asterales
科 : キク科 Asteraceae
亜科 : キク亜科 Asteroideae
属 : ツワブキ属 Farfugium
種 : ツワブキ F. japonicum


キク科ツワブキ属の多年草。イシブキ、ツワともいう。
ツワブキの名は、艶葉蕗(つやばぶき)、つまり「艶のある葉のフキ」から転じたと考えられる。


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  明菊(シュウメイギク)」 別名 貴船菊(きぶねぎく)とも

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キンポウゲ科の植物の一種。
別名、キブネギク(貴船菊)。
名前にキクが付くが、キクの仲間ではなくアネモネの仲間である。

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目 : キンポウゲ目 Ranunculales
科 : キンポウゲ科 Ranunculaceae
属 : イチリンソウ属 Anemone
種 : シュウメイギク A. hupehensis (hort. ex Lem.) Lem. ex Boynton
  ≪以上情報:Wikipedia より ≫


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 「ツワブキ」と「明菊」

   
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秋は どんな色 愁麗 彩色

2013.11.05(00:01) 1399

は どんな色 愁麗 彩色


   愁麗

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   は鮮やかなのに

      はかなく 薄れ 霞んでゆく



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は どんな色 愁麗 彩色

   
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蘭展 その2

2013.11.04(00:01) 1396

蘭展 その2


   ご近所の方から お誘い頂き 「蘭展」を観賞しました

      丹精込めて 栽培されたたちは

   見事な美の饗宴を 魅せてくれました


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ラン科(蘭科、Orchidaceae)
  単子葉植物の科のひとつで、その多くが美しく、独特の形のを咲かせる。
世界に700属以上15000種、日本に75属230種がある。鑑賞価値の高いものが多く、栽培や品種改良が進められている。他方、採取のために絶滅に瀕している種も少なくない。

ラン科の種はラン(蘭)と総称される。
英語では「Orchid(オーキッド)」で、ギリシア語の睾丸を意味する「ορχις (orchis)」が語源であるが、これはランの塊茎(バルブ)が睾丸に似ていることに由来する。

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南極をのぞくすべての大陸の熱帯から亜寒帯に自生する。
被子植物の中では最も後に地球上に現れた植物である。被子植物の中で、もっとも種数の多い科となっている。

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植物体は偽鱗茎(バルブ)を持つものなど独特の部分が多く、また、は左右対称で、虫媒の中では特異なほど効率の良い形を発達させ、特定の昆虫との共進化を見せるものも知られている。また根や種子の発芽では菌類との共生が大きな役割を担う。

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短期間に急速に適応放散してきたため種の間の遺伝学的隔たりが小さく、種間雑種や属間雑種ができやすい。
また、媒介昆虫との共進化の例が知られており、現在においてもなお急速な進化を続けていると考えられている。

の美しさや姿のおもしろさから、多くのものが観賞用とされており、またそのための採集圧から絶滅の危機が問題になっているものも多い。

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雄しべと雌しべ
雄しべと雌しべは完全に合体して一本の構造になっており、これをずい柱という。雄しべは一本ないし二本だけが残り、他は退化する。二本のものにはたとえばヤクシマラン属とアツモリソウ属があり、それぞれヤクシマラン亜科とアツモリソウ亜科を代表する。
ヤクシマラン亜科のものは雄しべが比較的はっきり区別できて、花型も放射相称に近いなど、普通の花に近く、原始的なものと考えられる。
アツモリソウ亜科のものでは、ずい柱は平らで、先端下面に柱頭が、それより根元側左右に雄しべの葯がある。
それ以外のラン科では、ずい柱先端に雄しべの葯があり、その下面に柱頭がある。

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花粉
ラン科植物の花粉は、花粉塊といって、塊になっており、その端に昆虫にくっつくために粘着部分をもっているものも多い。
ラン科の花は、昆虫による受粉のために特別に進化した構造をもつ虫媒花をつけるものが多い。かなり限定された昆虫を対象にした特殊な適応が見られるものも多く、共進化の結果と見られる。

   ≪以上情報:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E7%A7%91 より≫


蘭展 その2 完

   
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【マイガーデン】 の花たち

2013.11.03(00:01) 1398

【マイガーデン】 のたち


   秋も終盤

      マイガーデンは 優しい光に包まれています

  「ヒメツルソバ」

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ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)
  タデ科の植物の1種。
学名はPersicaria capitata(シノニムはCephalophilon capitatum、Polygonum capitatum) 。別名はカンイタドリ、ポリゴナム。ヒマラヤ原産。

日本にはロックガーデン用として明治時代に導入された多年草。
はピンク色で、小さいが球状に集まった金平糖のような形をしている。
期は5月頃から秋にかけてであるが、真夏にはが途絶える。冬季には降霜すると地上部が枯死するが、地面が凍結しない限り翌年には新芽が成長する。
は小花が球形にまとまっており、内部には種子が成熟する。葉にはV字形の斑紋があり、秋には紅葉する。

茎は匍匐(ほふく)性。1株でおよそ直径50cmほどに広がる。

性質が丈夫であるためグラウンドカバーとしても用いられる。
種子や株分け、挿し木などで容易に繁殖が可能なほとんど手のかからない植物であるため、空き地や道端などで雑草化もしている。
近縁に白い花のツルソバ(蔓蕎麦)がある。花も葉もソバ(蕎麦)に似ていることからの命名。
   ≪情報:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A1%E3%83%84%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%90 より≫


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   マユミ

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  マユミ(檀) ニシキギ科 

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マユミ(檀、真弓、檀弓、学名:Euonymus hamiltonianus)
  ニシキギ科ニシキギ属の木本。別名ヤマニシキギとも呼ばれる。

材質が強い上によくしなる為、古来より弓の材料として知られ、名前の由来になった。
この木で作られた弓のことや、単なる弓の美称も真弓という。和紙の材料にもなったが、楮にとって代わられた。現在では印鑑や櫛の材料になっている。

新芽は山菜として利用される。
天麩羅やおひたしなどに向く。なお、種子に含まれる脂肪油には薬理作用の激しい成分が含まれており、少量でも吐き気や下痢、大量に摂取すれば筋肉の麻痺を引き起こすため、種子は食べてはならない。

≪情報:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A6%E3%83%9F より≫


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【マイガーデン】 の花たち

   
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秋 秋 秋 アートする秋

2013.11.02(00:01) 1397

   アートする


   過ぎ往く

      芸術の

   あなたのように

      私もアーティスティックに

   秋をアートしましょう

      秋 秋 秋 アートする秋


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秋 秋 秋 アートする秋

   
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孫文記念館 「移情閣」

2013.11.01(00:01) 1395

孫文記念館 「移情閣」


    日和

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    季節に佇む 「移情閣」

        それぞれの

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    うららかな陽射しに 見守られ



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◇移情閣概要◇

 この記念館は、中国の革命家・政治家・思想家である孫文(号は中山、又は逸仙、英文名はSun Yat-sen、1866~1925)を顕彰する日本で唯一の施設で、1984(昭和59)年11月に開設された。

 この建物は、もともと神戸で活躍していた中国人実業家・呉錦堂(1855~1926)の別荘「松海別荘」を前身としている。
1915(大正4)年春、その別荘の東側に八角三層の楼閣「移情閣」が建てられ、外観が六角に見えるところから、地元では長らく「舞子の六角堂」として親しまれてきた。

 孫文と「松海別荘」(移情閣)の関わりは、孫文が1913(大正2)年3月14日に来神した際、神戸の中国人や政・財界有志が開いた歓迎の昼食会の会場になったときに始まる。
その後、1983(昭和58)年11月、兵庫県が「移情閣」を管理していた神戸華僑総会から寄贈をうけ、改修を行った。

 1984(昭和59)年11月12日、孫文生誕の日に「孫中山記念館」として一般公開を開始、1993(平成5)年12月には「兵庫県指定重要文化財」に指定された。

 1994(平成6)年3月、明石海峡大橋の建設にともない、いったん解体され、元の位置から西南方向200メートルの現在地に移転、復原工事が進められ、2000(平成12)年4月に完成した。
 2001(平成13)年11月、移情閣は、文部科学省より国の重要文化財に指定された。
 2005(平成17)年10月、孫中山記念館は、「孫文記念館」と改称された。

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◇移情閣の沿革◇

 移情閣は歴史の波に翻弄され、幾度となく姿を変えながらも、舞子浜の風雅を偲ぶ唯一の建物として、世紀を越えて明石海峡を見守り続けている。

 明石海峡大橋のある舞子浜は、古くから白砂青松の風光明媚な景勝地として知られ、明治期に入ると旅館や別荘が立ち並び、たいそう賑わったと伝えられる。
その一角に神戸の中国人実業家・呉錦堂が別荘を設けたのが19世紀末、建物は「松海別荘」と名づけられ、事業の成功とともに拡張されていった。
1913(大正2)年3月14日に国賓に準ずる待遇で日本を訪れた孫文を迎え、神戸の中国人をはじめ財界人が一同に会して歓迎会を催した。
以来、松海別荘は孫文ゆかりの建物として神戸の人々の心に刻まれていった。

 孫文来訪から2年後の1915年、呉錦堂は自らの還暦と実業界からの引退を記念して、三層の楼閣を建て、故郷“中国”への思いを込めて「移情閣」と命名したといわれる。

 昭和期に入ると舞子浜は行楽地から交通の要所へと変貌していった。
1928(昭和3)年に神明国道(現国道2号)の拡幅工事が行われ、海辺の旅館群は撤去された。
そして、松海別荘は解体されたが移情閣は残され、附属棟が曳屋移築されて現在の形状に改築された。

 戦中の一時期、移情閣は事実上官に接収され、高官や軍の宿泊所に使用されたともいわれる。
終戦後すぐ、呉家に返還されたのち、神戸中華青年会の研修所などに活用された。

 1960(昭和35)年には映画の舞台になるなど、平穏な時代が続いた。
しかし1964,1965年の相次ぐ台風が舞子浜を直撃し、移情閣も大きな被害を受けた。
このとき、附属棟は屋根・テラスが倒壊するなど壊滅的な状態となり、移情閣本体も壁紙・灯具などの大正期の貴重な内装材の多くが失われている。

 神戸華僑が孫文ゆかりの建物を残し、孫中山記念館として開館しようと資金を募り改修を行ったが、資金不足などから暫定的な補修にとどまった。

 日中国交正常化十周年ならびに兵庫県と広東省の友好提携関係樹立を記念して、1983(昭和58)年11月、移情閣は神戸華僑総会から兵庫県に寄贈され、県はこれを修復し恒久的に保存していくこととした。
日中関係者の努力によって、孫中山記念館として1984年11月12日から一般に公開された。

 1991(平成3)年12月明石海峡大橋の建設に伴い、舞子駅周辺整備計画の一環として国道2号線の拡幅が決まり、移情閣の移転が決定された。
移転場所は、明石海峡大橋のアンカレイジ東側海岸近くが選ばれた。

 2005(平成17)年10月1日、日本では「孫中山」よりも「孫文」の名がより知られていることを考慮して、館名を「孫文記念館」に改めた。

≪以上情報:http://sonbun.or.jp/jp/index.php?option=com_content&task=view&id=14&Itemid=31 より≫


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   デートコースや 散歩コースに お勧めです


孫文記念館 「移情閣」


   
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